2010年03月29日

【葬送】川上隆久氏(産経新聞)

 □国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)事務総長副特別代表

 □26日、東京都新宿区の落合斎場

 ■国際平和協力にささげた生涯

 訃報(ふほう)を知った誰もが絶句した。病気とはおよそ縁のない笑顔を絶やさない快男児。サファリ・ルックがよく似合う外交官だった。

 「彼ほど国連PKO(平和維持活動)を現場経験も含めて知っている日本人は少ない。もっともっと活躍してもらいたかった」と大島賢三元国連大使はじめ皆が急逝を惜しんだ。

 昭和52年に早稲田大学大学院を中退し外務省入り。その後は一貫して国際平和協力畑を歩いた。

 PKOの最初の現場は内戦を終えたカンボジア。先遣隊(UNAMIC)の政務官として平成3年12月に赴任。翌年、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)がスタートすると、明石康事務総長特別代表の右腕として1年半、和平プロセスにかかわった。

 「空港でラナリット、フンセン両首相から見送られた光景は忘れられない」と当時本紙に語っている。

 7年には国連PKO局に外務省から初めて出向し、アジア中東部でゴラン高原に派遣される自衛隊と国連の調整役も担った。

 最後の現場となった東ティモールには20年9月から。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)官房長1年半の勤務に続いてだった。

 治安状況の厳しいアフガニスタンは行動の自由が制限されただけに、東ティモールでは仕事の合間に海に潜るのが楽しみだった。

 3月15日に東ティモールの自宅で倒れているのを発見された。60歳。肺塞栓(そくせん)。大好きな現場とはいえ、緊張の日々はストレスを知らぬ間にためていったのだろうか。

 通夜には鳩山由紀夫首相も訪れた。今後、日本が国際平和協力でますます必要とする本当に貴重な人材だった。(千野境子)

駐車場屋根、折れ曲がり直撃=女性死亡、強風原因か−北九州(時事通信)
食料自給率、20年度に50%=食品安全庁設置へ−農業基本計画(時事通信)
電波望遠鏡ALMA 日本のアンテナの愛称「いざよい」に(毎日新聞)
<クロマグロ>全遺伝情報を初めて解読 日本の研究機関など(毎日新聞)
広末涼子さんが追突事故=乗用車に、けがなし−東京(時事通信)
posted by ぷちばくだん at 10:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。